想像の部屋

「死にたい夜」をやり過ごす力 ─ 想像のデバッグで“今”に戻る

※つらさが強いときは、この記事よりもまず人や公的窓口に頼ってください。緊急時は119/身近な人・地域の相談窓口・医療機関へ。 雨粒と呼吸の夜雨粒が窓をつたう。部屋の明かりは弱い。深呼吸だけが、まだ残っていた。「もう消えたい」と思ったことある...
黄泉の部屋

黄泉はどこにあるのか ─ “あの世”は心の奥か宇宙の果てか

“黄泉”という言葉の記憶古来、日本人は死の向こう側を“黄泉(よみ)”と呼んできた。『古事記』では、イザナミが死後に降り立った場所として描かれ、そこは暗く湿った、戻ることのできない国とされている。けれど、この“黄泉”という言葉の響きには、どこ...
黄泉の部屋

生きながら死ぬ ─ “喪失”の中で再生する心

「生きながら死ぬ」とはどういうことか死は、肉体が終わるときに訪れる──そう考えるのが一般的だろう。だが、人は生きている間にも、何度も「小さな死」を経験している。夢が終わったとき。愛が離れていったとき。誰かとの絆が途切れたとき。その瞬間、確か...
帷(とばり)の部屋

人間は宇宙を見ているのか、それとも宇宙が人間を見ているのか

見る者と見られるもの夜空を見上げるとき、私たちは「宇宙を見ている」と思っている。だが本当にそうなのだろうか。星々の光は何十億年も前の過去から届いている。私たちが見ているのは、すでに“存在しない宇宙の姿”かもしれない。つまり、宇宙を見ているつ...
黄泉の部屋

魂はどこへ行くのか ─ 記憶と意識の行方

「魂」という言葉を信じるか「魂なんて信じていない」という人もいる。科学の時代において、“魂”という言葉は迷信の名残のように扱われることも多い。だが、人は誰しも、愛する人を亡くしたとき、ふと「その人の何かは、まだどこかにいる」と感じる瞬間があ...
帷(とばり)の部屋

宇宙はなぜ存在するのか ─ 何もない“無”が“有”を生んだ理由

「何もない」とは、本当に何もないのか夜空を見上げるたびに思う。なぜ、私たちはこの“何か”の中にいるのだろう。なぜ、世界は存在しているのだろう。この問いは、哲学の始まりにして終わりのないテーマだ。古代ギリシャの哲学者パルメニデスは「無から有は...
黄泉の部屋

死は「終わり」ではなく、「変化」なのかもしれない

「死」とは何か、誰のための言葉か人は、生きているかぎり「死」という言葉を口にする。けれど、その瞬間を実際に語った者は誰もいない。死は“体験”ではなく、“想像”の産物だ。死を恐れるのは、生きている側の視点であり、「死んだらどうなるのか」という...
裏の部屋

鏡の中の自分は、本当の自分か?

現実と信じていたことへの違和感朝、顔を洗って、鏡の前に立つ。そこにはいつもの「自分」がいる。でも、ときどき思うのだ。――これ、本当に“自分”なのか?目の前の“像”は、確かに自分の顔をしている。しかし、左右が反転し、微妙に動きのズレがある。私...
裏の部屋

裏みっしょん!月は裏側を見せない:人の裏側 もう一つの世界

月はいつも同じ顔を見せ、裏側を隠す。人もまた、見せる顔と隠す顔を持って生きている。光と闇、表と裏──その狭間にある真実を見つめる。