思い描いた未来と、いまの現実のあいだで

想像の部屋

あの日、なぜか胸がざわついた

数年前、
「もう少しうまくいっているはずだったな」と
ふと思った夜があった。

特別な出来事があったわけではない。
ただ、静かな部屋で一人、
自分の現在地を意識しただけだった。

その瞬間、
頭の中に浮かんだのは後悔でも反省でもなく、
「想像していた未来と違う」という感覚だった。

それは失望というほど強くもなく、
かといって納得できるものでもなかった。

ただ、少しだけ胸がざわついた。
――そのざわつきが、
この部屋の扉を開けたきっかけだったのかもしれない。

違和感

想像していた未来は、確かにあった

かつて、確かに思い描いていた未来があった。
具体的な形や数字があったわけではない。
けれど、「こうなっているはずだ」という感覚だけは、
はっきりとあった。

もう少し楽に生きている自分。
もう少し自信を持っている自分。
もう少し、ちゃんとしている自分。

それは夢だったのか、期待だったのか。
あるいは、ただの思い込みだったのかもしれない。

それでも、その未来は一度、
自分の中では“現実”として存在していた。

存在

なぜ未来は、想像どおりに来ないのか

想像の中の未来は、たいてい一直線だ。
「今」があり、「その先」に未来がある。
努力すれば、少しずつ近づいていく。

けれど現実は、曲がる。
止まる。
ときどき、後ろに戻る。

体調が崩れることもある。
人間関係が変わることもある。
自分の気持ちが、思った以上に弱いこともある。

想像が間違っていたのではない。
ただ、現実は
想像よりもはるかに多くの要素を抱えている
というだけなのだろう。

複雑

ズレが生まれた瞬間

「思っていたのと違う」と気づく瞬間がある。
それは、大きな失敗の後かもしれないし、
何も起きていない日常の中かもしれない。

ある日ふと、
自分が想像していた場所とは
違う場所に立っていることに気づく。

そのとき、多くの人は
「間違えた」「失敗した」と感じる。

けれど、もしかするとその瞬間は、
現実が想像を裏切ったのではなく、
想像が初めて現実に触れた瞬間なのかもしれない。

ズレは、破綻ではない。
接触だ。

接触

想像は嘘だったのか

思い描いていた未来が来なかったとき、
人はその想像を「嘘だった」と切り捨てたくなる。

だが、想像は予言ではない。
未来を当てるためのものではない。

想像とは、
そのときの自分が
「こうありたい」と願った心の形だ。

叶わなかったとしても、
その想像があったから、
その時期を耐えられたこともある。

進めた日もあった。
踏みとどまれた夜もあった。

そう考えると、
想像は現実にならなかったからといって、
嘘だったわけではない。

それは、その時点の自分にとって、
必要だった支えだったのかもしれない。

支点

いまの現実は、失敗なのか

いま立っている場所は、
かつて思い描いていた場所とは違う。

だからといって、
ここが「間違った場所」だと言い切れるだろうか。

想像の中には含まれていなかった景色。
想像していなかった感情。
想像では考えもしなかった自分。

現実は、
想像を否定するために存在しているのではない。
想像では見えなかった部分を、
あとから見せてくるだけなのかもしれない。

現実は、想像の失敗作ではない。
想像の続きだ。

継続

あいだに立っているということ

いまの自分は、
想像していた未来でもなく、
完全に諦めた場所でもない。

ちょうどその「あいだ」に立っている。

期待と失望のあいだ。
過去の自分と、これからの自分のあいだ。

その場所は、不安定だ。
足場がはっきりしない。

だが同時に、
まだ何かが動ける余白でもある。

決まっていないということは、
終わっていないということだ。

余白

あとがき(想像の部屋より) ─ あの夜に戻って

あの夜、
「思っていた未来と違う」と感じたとき、
胸のざわつきの正体はわからなかった。

けれど今なら、
あれは失望ではなく、
現実と想像が触れた感触だったのかもしれないと思う。

思い描いた未来は、
思った通りには来なかった。

それでも、
まったく来なかったわけでもない。

いまの現実は、
あの想像の失敗ではなく、
別の形で続いている途中なのだと思う。

想像の部屋は、
その途中で立ち止まり、
「それでもいいかもしれない」と
一度だけ息をつくための場所だ。

ここでは、
うまくいかなかった未来も、
静かに、許されている。

許されている

▼ 次の扉へ、どうぞ!
🪞 裏の部屋  💀 黄泉の部屋  🌌 帷の部屋

コメント

タイトルとURLをコピーしました